Storyteller in art Vol.5「3.1415926535...」with 大森美瑠
「Storyteller in art」
年内最後となる第5回は、色鉛筆アーティストの大森美瑠さんです。
大森さんは、イラスト、絵本制作、ものづくりワークショップ、シェアハウスなど、様々な分野でアクティブに活動されているアーティストです。大森さんの画は、線も色も、とても柔らかくて優しいです。
そんな、柔らかさと優しさのあるイラストに、リアルな質感の物語をのせてみよう。
そういった感じにインスピレーションを受けて、物語を書きました。
「えんしゅうりつ」
って、なんだ。
僕は一人、塾の冬期講習からの帰り道を歩いていた。
もう時間は9時を過ぎている。見たいテレビもとっくに終わってしまっていた。が、外は寒いので、早足で家に帰っている。
「正しく『えんしゅうりつ』を理解してないと、円の問題は解けないぞ」と、塾の先生は言っていた。けど、僕にはさっぱりわからない。わからないまま、円の問題は解けず、塾の先生に色々と怒られ、それでも結局わからなかった。
世の中にはよくわからない事がたくさんある。
そもそも、まだ5年生だというのに、なんで塾に行って勉強しなきゃいけないのかわからない。
まあ、いいか。明日で冬期講習も終わりだ。
周りの家の窓からは、あたたかな明かりが見えた。
あたたかな、明かり。
あたたかな、
あたたか、な、
ひんやり。
家の中、は、いつものように、寒くて真っ暗だった。
「しーん……」
ほんとうに静かだとしーんって音がするんだ。
リビングの電気を付けて、暖房をつける。
人がいない部屋はとっても寒い。
晩ご飯は「冷凍のパスタがあるからチンしてください」だ、そうだ。
おかあさんは、毎日仕事で遅くまで忙しい。
昔は毎日家にいてくれていたのだけれど、小学校に入る前にお父さんと離婚してから、仕事ばかりしている。大変そうだ。
静かな部屋で冷凍のパスタを食べる。
年末、塾のみんなは、おばあちゃんの家に行ったり、旅行に行ったりするらしい。
僕は、お母さんの仕事が30日まであるから、きっとどこにも出かけられない。
ちょっと嫌だな、と、思ったけれど、そう思った自分がちょっと嫌だった。
晩ご飯を食べ終えて、ぼくは、物置から、大きな大きなはしごを持ち出した。
これから、秘密の場所に行く。
全部伸ばすと3メートルくらいあるそれは、家の壁にかけると、屋根まで昇れるようになる。
お母さんは今日も遅い。帰ってくるまでのちょっとの間、こっそり屋根に登るんだ。
屋根の上に上がる。屋根が沢山並んでいた。その下には、沢山の窓、から見える沢山の温かなひかり。ひかりの中では、沢山の家族が、楽しく冬休みを過ごしてるんだ、と、思うと、なんだか心臓がきゅっとなった。
まんまるの月があった。綺麗な丸だった。
あの月の「えんしゅうりつ」はきっと正しい数字なんだろうな、と、思う。
僕は、丸い月に、僕は手を伸ばしてみた。
月が掴めそうで、掴めそうで、
僕は、手を、伸ばし、
僕の手、は、丸いもの、に、触れて、、、
掴んだ。
え?
「どうしたの?」
目の前には、さっきまでは無かった、僕と同じくらいの身長の黄色い球があった。いや、いた。
なんか顔ついてるし、手と足とか生えてるし。あと、それから、なぜか上の方がちょっぴりくぼんでいた。
「呼んだ?」
そいつはちょっぴりめんどくさそうな顔をした。
「は?」
「いや、なんか急に掴まれたと思ったら空から引き摺り下ろされて。きみだよね。」
「空?」
「そうそう、そこにいたの」
その丸いやつが指をさした方向は、僕がさっきまで月を見ていた方向だ。
あれ?
さっきまでそこにあった月がない。
おかしい、空は晴れているはずなのに。
「めっちゃびっくりしたよ。今日はせっかく顔に影がかからずに地球を見下ろせると思ったのにー」
え、うそ、月?
「ねえ、なんか用事があった?」
「いや、たまたま……」
「なんだー、そうだったの?」
月は隣の家の屋根にぽん、と、座った。僕と月は向かい合う。なんだこれ。
「ねえ、月なの?」
この状況があまりにも謎過ぎて、こんなへんてこな質問しかできなかった。
「そうだよ」
「月って、こんなに小ちゃくないよ」
「そうなの?けど、僕は僕だから。大きいとか小さいとか、ないよ」
「月は宇宙にあるんだよ」
「君が引き摺り下ろしたんじゃないか。それに、ここも宇宙だよ」
「地球だよ」
「地球も宇宙だよ」
なんだかよくわからなくなってきた。
僕は、おそるおそる月に触れてみた。月は思ったほどごつごつしていなくて、なんだかちょっと温かかった。なんだか、触れば心も温かくなりそうな、なんか、とても、不思議な感じ。
「月って、こんな感じなんだ」
「どんな?」
「いや、こんな」
「僕がどんな風にきみに見えてるのか、気になる」
「そんなこと気にするの?」
「するさ」
「ここ、なんで削れてるの?」
「え、あー、これは、生まれつきなんだよね」
月は恥ずかしそうに言った。けど、月がこんな形をしているなんて聞いたことがない。
だいたい、今日は満月だったはずだ。
「くぼんでたら満月は丸くないはずだよ」
「くぼんでる所が地球から見えないように、隠してるんだよ。綺麗な丸じゃないところを見られるのは恥ずかしいから。地球から見えない所にくぼみがくるようにしてるんだ」
「はずかしくないよ」
「ううん、はずかしい」
「そうかな」
「そう」
「そっか、月も大変なんだな」
「まあね。けど、みんなそうだよ」
「え?」
「みんな、どっかにくぼみみたいなのがあるんだ。地球を見下ろしてると、みんなくぼんでる」
「くぼんでる……」
「そうそう」
僕は、もう一度、たくさんの屋根の下の、たくさんの温かいひかりを見た。
「ねえ、そろそろ帰ってもいい?」
「え?」
「早く戻らないと、みんなが騒ぎだす」
「あ、うん」
「じゃあね」
「あ、」
一瞬で、目の前の月は姿を消して、空に戻っていた。
あまりにも突然すぎて、ぼくはぽかんとする事しかできなかった。
綺麗な、満月だった。
次の日、冬期講習の最終日。
僕は、いつもの誰もいない寒い家に帰ってくる。
コンビニで買ったお弁当をチンして、食べた。
みんな、どっかにくぼみみたいなものがある。
今朝、テレビのニュースにも、新聞にも「月が一瞬消えました」とかいうニュースは流れていなかった。昨日のは何だったんだ。
空の月は丸かった。満月は終わってしまったから、ちゃんとした丸ではなかったけれど、くぼんではいなかった。
僕は、僕たちには絶対見えない、裏のくぼみのことを考えた。
世の中にはよくわからない事がたくさんある。
***********************************************************************************************
大森美瑠 / Miru Omori
色鉛筆アーティスト
1990年石川県生まれ
幼い頃から絵を描き続ける
岐阜大学教育学部美術教育学部にて美術教育の研究の一環としてワークショップ実践、絵本制作などの活動を行う
2018年3月から東京葛西にて、
アーティスト・クリエイターを育成支援するためのシェアハウスCanvas を開始する。
大森美瑠ホームページ