Storyteller in art

様々な分野で活動されている方の作品からインスピレーションを受けて短い物語を書いています

Storyteller in art Vol.9「包まれて」with Ryohei

Storyteller in art 第9回は研究者の良平さんです。

 

Storyteller in artも第9回を迎えました。

これまで、様々な芸術家とコラボレーションして作品を作ってきました。

お陰さまで、たくさんの方にご覧いただいています。

 

「art」という言葉には、芸術という意味もありますが、技術、と言う意味もあります。そんなわけで、artの範囲を少し拡張します。

今回は、生物学の研究者である彼とコラボレーションをしてみました。

 

僕は、大学・大学院といわゆるバイオ関係の研究をしていました。と、いうこともあって、個人的にもバイオとアートのコラボというのはとても興味があります。まだまだ実験段階ですが、コラボレーションを舞台作品にもしたいなぁ、なんて思っていたりします。

 

彼は、私たちの身体をつくっている脂質の研究をしています。

その最新の論文からインスピレーションを受けて、物語を書きました。

研究の詳しい内容は、物語の末尾に【解説】をつけてありますので、どういう研究が、この物語になったのかを、より詳しく知りたい方は是非ご覧ください。

 

 

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静かな世界の気配に揺すられて、僕は目を醒ました。

意識は、粘度の高い世界をノロノロとたゆたっている。

温かな毛布の中にくるまっている身体をもぞもぞと動かす。僕は、身体が毛布の中で溶けていないことを確認した。

 

隣では、髪の長いよく知っている女の人が睡っている。

 

僕は立ち上がり、カーテンの隙間から外を覗き込む。

早朝、、、と、いうにはまだ早過ぎる。

(アノバショ、デ、アアイウコト、ガ、アッテ、ナンニン、ガ、シボウシマシタ)

 

僕はベッドの方に向き合った。

髪の長い女の人を、毛布越しに触れた。温かい。

多分、この女の人も、温かく感じているのだろう。

この、毛布に包まれて。

 

アパートの一室の小さな部屋。

新築のアパートの壁は綺麗だった。

僕は毛布から抜け出したけれど、まだ温かく感じるのは、この部屋のおかげだ。

部屋が、包んでいてくれるからだ。

僕たちは、常に、何かに包まれて、守られて、生きている。

 

(タクサンノ、ヒト、ガ、トオクノクニニ、イキマシタ)

 

僕は温かいカモミールティーを入れた。

彼女が買ってきたものだ。

優しい香りを感じながら、飲む。じわり。

あたたか、な、体温、僕の細胞一つ一つも、ふわり、包まれて生きていた。

 

僕は、暖まった身体で、もう一度、外を見た。

静かな夜。僕は、この部屋に包まれ、部屋はセカイに包まれていた。

この、セカイ、に。

(アノヒト、ガ、アノヒト、ニ、ササレル、ジケンガ、アリマシタ)

 

ほわり

、と、カモミールの息を吐く。

部屋の外のセカイでは、今もリアルタイムでたくさんのことが起こっている。

(テロジケン、ガ、アリマシタ、ワレワレ、ハ、ソレヲ、ケッシテユルサナイト)

夜、も、残念ながらニンゲンは生きているのでした。

部屋は静かだけれども、地球は回っている。

摩擦の音などたてながら。

 

「んー」

もぞもぞと、毛布に包まれた彼女が寝返りをうった。

毛布には、コーヒーのシミが二カ所ある。

彼女は、先週ベッドサイドでコーヒーをこぼしてしまった。

それ以来、決してベッドの上でコーヒーを飲むことはなくなった。

それでも、包んでいる毛布のシミが消えることは無い、の、だけれど。

(アノクニデノ、セントウ、ハ、ワガクニ、ト、アノクニ、ノ、レンゴウグン、ガ、ショウリシマシタ)

 

僕らを包むもの、は、全て、段々とダメージを受ける。

毛布もシミができるし、今は綺麗な部屋の壁もいつかはボロボロになる。

時間は、確実にダメージを蓄積させる。

それがある程度までたまると、急に、守ってくれるはずだったセカイは、異常をきたして、僕たちを破壊するのだ。

(トナリノケン、デ、クウシュウ、ガ、アリ、タクサンノ、ヒト、ガ、シボウ、シマシタ)

 

僕たちを包んでくれている、膜。毛布、部屋……セカイ。

コーヒーのシミや、部屋の汚れだったら、すぐに分かる、けれど、

セカイのダメージはどうやったら分かるのだろう。

僕を包む、セカイのダメージ、は。

(ショウリシタ、アノクニデノ、セントウ、デハ、サンジュウニン、ガ、シボウシタ、トノ、コトデス)

 

僕は、カモミールティーを飲み干して、ベッドに戻った。

ベッドの中、は、さっきまでの自分自身の温もりと、彼女の温もりがあった。

隣では、髪の長いよく知っている女の人が睡っていた。

 

彼女の頬に触れた。

僕の細胞が、彼女の細胞に、触れる。

 

細胞は、細胞膜、という膜で包まれている。

生物の授業で習った。

細胞膜に包まれた細胞は、温かいだろうか。

細胞膜も、この世界のようにダメージを受けることがあるならば、細胞はいつか破壊されてしまうのだろうか。彼女はいつか破壊されてしまうだろうか。僕はいつか破壊されてしまうだろうか。

 

僕たちを包んでくれている、膜。

コーヒーのシミや、部屋の汚れだったら、すぐに分かる、けれど、

彼女のダメージはどうやったら分かるのだろう。

僕を包む、彼女のダメージ、は。

 

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【解説】

 

私たちの細胞は、細胞膜、という膜に包まれて存在しています。

細胞膜の主な構成要素の一つに、リン脂質と呼ばれるものがあります。

リン脂質には、たくさんの種類が存在します。

このリン脂質は、生きている過程で、酸化されていきます。そうすると、動脈硬化や糖尿病、ガンなどの疾患を引き起こすことが、これまでの研究で明らかになっています。

酸化されたリン脂質はOxPLsと呼ばれています。たくさんの種類のリン脂質があることから想像できるように、OxPLsもたくさんの種類がありますが、その種類を特定する方法がありませんでした。よって、どの種類のOxPLsがどういう風に疾患を引き起こすか、ということは詳しくは分かっていません。

 

今回、インスピレーションを受けた青柳氏の研究は、そのリン脂質の種類を特定するための方法を作ることを目的としたものです。

これは、疾患とOxPLsの関係を明らかにするのに有効な方法となる可能性があります。

 

 

私たちの細胞一つ一つを包む細胞膜。それを構成するリン脂質は、生きているとダメージを受けます。それが、いつか病気を引き起こします。しかし、それがどのようにして起こるのか、ということはよくわかっていない。

私たちを包む世界が悲劇を引き起こすプロセスを、私たちが知らないように。

青柳氏は、そんな、ブラックボックスの一つを調べるための方法を、この論文で確立させたのでした。

 

論文のリンクです、英語版しかないのですが、ご興味のある方は是非。

http://hagiya4423.wixsite.com/mooncuproof/blank-10

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良平 / Ryohei

国立研究開発法人 理化学研究所 横浜事業所

統合生命医科学研究センター メタボローム研究チーム

リサーチアソシエイト