Storyteller in art Vol.8「つぼみの時間」with ainoa
Storyteller in art 第8回はアクセサリー作家のainoaさんです。
彼女のつくるドライフラワーや貝殻、小瓶のアクセサリーは、とても繊細で素敵です。
たとえ、慌ただしく過ぎ去る日々を過ごしていたとしても、時間をゆっくりにして、私たちの日常を豊かにしてくれる力が、このアクセサリーたちにはあります。
今回は、そんな、繊細なドライフラワーのアクセサリーにインスピレーションを受けて、物語を書きました。
まぶたを透かして届いてくる朝の光に、私の意識は覚醒する。水底に沈んでいるクラゲが海面に上昇してくるように。
夢の世界の微弱な浮力は、ゆっくりと「私」を現実へと押し上げていく。そして、柔らかな境界を、私は越え、目を、開けた。
ワンルームの部屋、私はテーブルの上に突っ伏して眠っていた。
横には、500mlのハイボールの缶がおかれている。
部屋には倦怠が霧のように漂ってる。一瞬、私は霧に窒息しかけ、焦って呼吸の仕方を思い出す。
ハイボールの缶を持ち上げて軽く揺する。缶の中で揺れるのを感じる。半分以上が残っていた。
重い上体を起こして、伸びをした。
朝、6時。
昨日は、仕事が終わらないわ、それなのに新しい仕事を振られるわ、そのせいで行きたかった映画に行けなかったわで、散々な一日だった。
遅くに仕事を終え、私はそのイライラを清算するかのように、一人で会社近くのバーに行ってビールと赤ワインとマティーニ3杯を飲んだ。そして、酔っぱらって帰宅し、シャワーを浴びた。酔いとシャワーで熱くなった身体を醒ますために、冷蔵庫の冷気を求めて扉を開けたら、缶のハイボールを見つけた。それを寝酒のつもりで飲んでいたら、いつのまにか眠ってしまったらしい。
頭がガンガンする。さすがにマティーニ3杯は飲み過ぎだった。
私は立ち上がって、フラフラと窓辺に行き、ベーシュ色のカーテンをあけた。
雲一つない、澄んだ冬の朝。ガラスを透して、まっすぐに差し込んでくる昇りたての陽の光は、今の私には少し強すぎる。
深呼吸を一つ。私は今日も生きている。
ハイボールの缶を手に取り、自分の中の悪い堆積物を流しだすように、流しに捨てた。
しくしくと、ハイボールが、流れていく
空になった缶を捨て、目をこすりながら食器棚からホーローの黄色いポットを取り出し、水を入れて火にかけた。
そして、冷蔵庫からトマトとチーズとバジルを取り出す。
トマトをスライスし、バジルをちぎり、チーズと一緒に6枚切りの食パンに乗せ、仕上げにオリーブオイルをかける。パンに乗り切らなかったトマトは、そのまま直接食べた。
冷たさと酸味が、アルコールでふわふわした私の身体を説教した。
今日は休日だ。
朝6時。まだ眠っている人の方が多い、に、違いない。少なくとも、平日フルタイムで働いている人は。
「さて」
パンをオーブントースターに入れ、私は、もう一度深呼吸をした。
私は、これから、生き返るのだ。
「つぼみの時間」
早朝の時間を、おばあちゃんはそう呼んでいた。
おばあちゃんはもともと、私と両親とは離れて暮らしていたが、私が小さいときにおじいちゃんが死んでしまったのをきっかけに、持っていた家を売り払い、私と両親と住みはじめた。
祖母は必ず毎日、朝5時に起きた。
私と両親は、時々、祖母の活動する音に起こされる。母は時々文句言っていたが、私は、時々おばあちゃんと一緒に起きるのが好きだった。
おばあちゃんは、早朝のうちに朝食を作り、食べ、服を着替え、髪を整え、メイクをした。その動きは一つ一つの所作に無駄が無く、かつ、とても丁寧で、洗練されていた。どこにどれくらい時間をかけるのが最適か、ということを熟知していた。
その無駄の無い動きに、私は幼いながらに見とれていた。
おばあちゃんの凄いところは、これを欠かさず毎日するのだ。外に出たり、誰かに会う用事が無くても、必ず、時間をかけて、丁寧に早朝の時間を過ごす。
ある日の朝、私は、支度を終えて紅茶を飲んでいたおばあちゃんに聞いたことがある。
「おばあちゃん、どこにも行かないのに、着替えたり、お化粧したりするの?」
「当たり前よ」
「外に出ないのに?」
「これはね、誰かのためにやってるんじゃないの」
「じゃあ、何で?」
「きちんと毎日綺麗に咲くためよ」
「どういうこと?」
「花はなんで綺麗か知ってる?」
「知らない」
「つぼみのうちに、しっかり準備するからなのよ。つぼみのうちに、どんな風に咲こうかな、ってことを考えながら、おめかしするの。だから、綺麗に咲くことができるのよ」
「ふーん」
なんだかよくわからない、という顔をしていたであろう私に、おばあちゃんは言った。
「私たちはたくさん嫌なことを経験するわ。けどね、毎日生まれ変わるの。朝起きると、嫌なことがあった前の日の自分はもういなくなってて、新しい自分になる。だから、毎朝咲くチャンスがあるの。そのためには、朝、このつぼみの時間に、丁寧に時間をかけて、準備をしなきゃいけない」
「つぼみの時間」
「嫌なことがあったり、忙しいことがあったら、つぼみの時間を大切にしてごらん」
私は、ちょっとめんどくさいな、と、思った。
けれど、おばあちゃんはいつも素敵だった。
ポットの口から湯気が勢いよく出始めた。
私は、青色の陶器のマグカップと、コーヒーのドリッパーとフィルターを食器棚から取り出す。そして、フィルタをセットして、コーヒーの粉を入れて、お湯を注ぐ。
最初はお湯を少しだけ注ぐ。粉を湿らせて、ちょっとの間、蒸らすのだ。
私は目を閉じる。香ばしい香りを嗅ぎながら、呼吸の速度を下げる。
30秒。目を開ける。目に映るワンルームは、ほんの少しだけ、優しくなっていた。
優しい空間の中、残りのお湯をゆっくり注いでいく。フィルターをコーヒーが通っていく。
オーブンを開けると、トーストの上でチーズが美味しそうにとろけていた。
私は、コーヒーカップとトーストの乗ったお皿をテーブルに置いて、座った。
そこは、私が眠っていたテーブルとは違っていた。
朝食をとりながら、今日のことを考える。
ゆっくりと味覚を働かせていくうちに、頭が冴え渡ってくる。私の色が、戻ってくる。
倦怠の霧がすっかり晴れ、朝の日差しが差し込む部屋で、今日の咲き方を決める。
昨日の私では無い、新しい私の咲き方を。
お気に入りのニットを着て、時間をかけてスタイリングをして、メイクをする。
この間買ったベージュのチークを使おう。
そして……
私は、立ち上がり、鏡の前にある小さな引き出しを開けた。
そこには、ドライフラワーのアクセサリが入っている。
実家を出るときに祖母がくれたものだった。
かすみ草と、黄色・紫・薄紫のスターチスのイヤリング。
「あなたが綺麗に咲くための味方よ」と、おばあちゃんは言った。
私は、紫のスターチスのイヤリングをとった。
花言葉は「知識」。
今日は図書館にでも行こう。脳みそを、ゆっくり耕す、のだ。
私は、カップを手に取り、コーヒーを一口飲んだ。
開花まで、もう少し。
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ainoa
「ainoa」はフィンランドの言葉で「ひとつだけ」という意味です。
あなただけのひとつだけの大切なものになっていきますように。
物語を詰め込んだ小瓶のアクセサリーと花言葉を身に纏うドライフラワーのアクセサリーを創っています。
Web: https://www.ainoa.online/
Instagram: ainoa117