#11「カスタードクリームを食べながらおもいついたから、それと関係があるんだと思う」
起き抜けに見る夕日の気持ち悪さ、
薄暗い部屋を見回す。
四畳半の部屋にはビールやチューハイの空き缶が大量に転がっている。
テーブルの上には無造作に開封され、放置されたポテトチップの袋。
二日酔いだった。
けれども、何の問題はない。
バイトは二日前にやめていた。今は何もする事がない。
大学生だったらば、学校でもさぼろうか、なんて言って、安心してもう一眠りをするのだけれど……。
何も無いと、何もできない。
サボることが無い、というのは、こんなにも不安なことなのだろうか。
僕はポテトチップスを一枚取って口に入れた。なんとも退廃的な塩味だった。
昨日、彼女は泣きながら家に来た。
だから、僕たちはコンビニでしこたま酒とお菓子を買った。そして、泥酔して、ドロドロのセックスをして、泥のように眠った。
「あ、おはよう」
彼女がモヤモヤとした声で目を覚ました。
「頭」「うん、痛い」「だよね」
「半分狙ったけど」
「こっちは狙ってない」
「ドンマイ」
「コーヒー飲む?お湯、わかした」
「ドリップ、あ、インスタントじゃなくて、って、意味」
僕は、キッチンで、使い切りのドリップコーヒーの袋とマグカップを二つ、準備した。
夕方、外ではしゃぐ子供の声。この世界が、いかに自分を無視して回る事ができるかを教えてくれる。
子供。
小さいとき、ドジョウを買っていた。
その水槽の底には沢山の泥が敷き詰められていた。
ドジョウが死んだ後、僕は水槽をしばらく放置してしまった。
その結果、泥はとんでもない匂いを発し始めた。
臭い、吐き気、この、二日酔いのような。
「なんかさ、ヘルメット」
彼女は部屋の隅にある黒いヘルメットを見つめていた。昔、バイクに乗っていた時に使っていたものだ。
なんかさ、で始まるとき、彼女は絶対に昔の話をする。
「3年前、ヘルメットがさ、死んだの、その、ヘルメットで、っていうか、ヘルメットがあっても、突然だったの、あ、私の友達がね、死んで、あまりにも突然で、なんか、おじいちゃんと、おばあちゃんが死んだのとは違う。あ、バイク事故だったんだけど、あー、ドラマとかで良く聞く、受け入れられないって、コレなんだなって」
ドリップされているコーヒー。黒い液体が、一滴、一滴。
「結局、駄目なときは駄目なんだよね、ヘルメット被っても」
マグカップにコーヒーが一杯になる。少しだけぼんやりと、黒い液面を眺めた。
「行くの?」
僕は全裸で夕日を眺める彼女にカップを渡した。
「まあ、行くしか無いっしょ」
「落ち着いた?」
「うん、その、電車、あ、チューハイの桃味って、あれ、昨日飲んだやつ、頭痛いけど、隕石もあるけど、あれ、美味しかったね、あ、多分、大丈夫、おかげさまで、電車、あ、ちゃんと、」
「もう夕方だね」
「あ、先にシャワー浴びないと、てか、大丈夫?、あ、コーヒー、変えたでしょ、あ、この桃味のやつって、あれか、前に、イチゴ味まずかったやつ、てか、間に合うかな、てか、ポテチとコーヒーって全然合わないね」
「気をつけて」
「借りてっていいの?このヘルメット」
「バイクはもう乗らないからね」
「ありがとう」
彼女はヘルメットを被った。全裸にヘルメットを被った彼女は、何か均衡を失した存在のように見えた。
「これで大丈夫かな」
「多分」
「不安」
「じゃあ」
僕は彼女の被っていたヘルメットにキスをした。冷たかった。
「これで大丈夫なの?」
「ヘルメットにキスしただけだけど」僕は言った。
「私は何も感じなかったよ」彼女は言った。
「それはヘルメットを被ってるからだよ」
「シャワー、あ、電車の時間、は、後でいいか」
彼女はタオルを取って、シャワー室へ行った。
僕は携帯を手に取り、ニュースを見た。
『昨夜、隕石が落下したA街は、現在壊滅状態です。道路には交通規制がかかっており、住人の家族のみ、入る事ができます。倒壊しそうなビルもいくつかあるため、頭部を保護するヘルメット等の着用が義務づけられております』
僕は退廃チップスを一枚口に入れ、ベッドに入る。
ベッドの中では、あの、ドロドロのセックスの臭いが漂っていた。
僕はドジョウの水槽を思い出す。
臭くなった水槽を洗うのが嫌で、こっそり家から持ち出した。
そして、近所にあった公園の岩に思い切り叩き付けて、割った。泥が飛び散った。
何故、彼女はヘルメットの話をしたのだろう。町の様子を見に行く前に。
僕は、彼女が置いたヘルメットにもう一度、キスをした。
冷たかった。