MoonCupRoof

劇作家・演出家、萩谷至史の日々のあれこれ、や、短い作品たち

#4「a」

「なんで人間は一人なのにさー、死体は一体って数えるの?」

ただいま、の代わり。塾帰りの僕の第一声は、誰もいない小さなアパートの部屋の白い壁に吸い込まれた。今日も負けた。この白い壁に吸い込まれない言葉など、あるのだろうか。テーブルの上には夕食が一人分、置いてある。中学校の教科書と塾のテキストがたっぷり詰まったバッグを放り投げて、手を洗う。

「なんで人間は一人なのにさー、死体は一体って数えるの?」

母は、「夜の仕事」という種類の仕事をしている。具体的に何をしているのかはよくわからないのだけれど、昔、ネットで検索をしてみたら、なんか、色々な種類の「夜の仕事」があるらしい、と言う事が分かったた。そこまで調べて、もう、これ以上調べたくなくなったからやめた。

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皿の上には、焼かれた一匹のさんまが丸ごと乗っかっていた。
焼き魚は苦手だ。なんだか、この、目、がどうにも。なんというか、見ているのだ。こっちを。

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見るなって。

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だから、さ、そう言う目で、見るなよ。

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焼かれて白く濁ってしまった目。この目、が、まだ透明だった頃、こいつはどんなに広い世界を見ていただろうか。広い広い海を、自由に泳いで、とっても遠いところまで行ったに違いない。
泳いだ果てが、こんな、小さなアパートなんて、残念だね。
泳いだ果てが、僕の胃の中なんて、残念だね。
僕はそんなに遠くには行けない。まだ中学1年生だし、それに、これからも、きっと、そんなに遠くには行かない。言葉が白い壁に吸い込まれている限りは。

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きっと、こいつはたくさんの仲間と泳いでいたんだ。すごいスピードで。自分だけ速度を落としたら、仲間とはぐれてしまうから。透き通っていた目、には目まぐるしく変化する海の風景が映っている。
様々な大きさ、形の魚。プランクトン。海藻、、、の、ように、広がった、髪の毛。指の間に海水がすり抜けていくのを感じる。水かきが退化していなかったら泳ぎやすいのに。上を見る、と、海面。太陽が降り注いでいる。
僕は海面に浮き上がり、仰向けになって太陽を眺めた。

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しばらくして、背中がくすぐられるようにムズムズするのを感じた。
魚達、だ。たくさんの魚達が、背中をつついている。背中を、背中の皮を、肉を、つつく。僕は自分が水死体になっている事に気がついた。こいつらは、僕を食べに来た。

僕はどこまでも遠くに行く。魚達の肉になって。
遠くの大陸。深い海底。鮮やかな珊瑚礁。真っ白な流氷。世界中に分散する。
身体が少しずつ少しずつ小さくなっていくのを感じながら、水死体の僕は太陽に手を伸ばす。
動かないはずの手、は、ゆっくり、ゆっくり、太陽の方へ、のびきって、日光を浴びて、ゆっくり、ゆっくり、おりて、きて、そして、、、焼き魚の背中の肉、を、箸で掴んで、口の中、へ、入れた。

皮が少しこげていて、苦かった。さんまを睨んだ、けれど、皿の上の魚は白濁した目で睨み返してくるばかり。

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あーあ、塾の宿題やらないと。
さんまをもう一口、咀嚼しながら、鞄の中の英語の問題集を取り出す。



問:日本語訳を参考に、( )内に当てはまる語を答えなさい
部屋の中に一匹の魚がいます。
There is ( a ) fish in the room.