#6「フマゴンの夜」
「ちょうどここよ」
真夜中、家から少しだけ離れた公園。キミは立ち止まって話しだした。
「ある日、真夜中、まだ誰もいない時間に、突然それは産まれたの。何の前触れも無く。そうして、怪獣フマゴンは闇夜に溶けて、時々、人々を不幸のどん底にたたき落とすの。」
静まり返った公園に、キミの声だけが聞こえる。
「なにそれ?」
「職場の人から聞いたの」
「……で?」
「面白くない?」
「それだけの事を話すために、わざわざここまで連れ出したの?」
キミはふまふまと笑っていた。
「帰るよ」
早く帰りたかった。僕はあきれていた。
けれど、理由はそれだけではなかった。
キミの穿いていたロングスカートが、キミごと夜の闇に消えてしまいそうな気がして怖かった。
だから、手を握って、歩き出す。
「怖かったんでしょ」
「え?」
「フマゴンの話」
何も言わずに強く手を握ったら、
何も言わずに強く手を握られた。
#5「けみるみねっせんす」
きょ / うは / いいよ / る / だ / なあ、、、
散歩からの帰り道。昼間の熱さは大気から姿を消し、風の流れる心地よい夜、が満ちていた。一歩一歩、乾いた地面を踏みしめる。その度に、青い燐光が地面から浮かび上がっては消えた。
ま / いに / ちこ / んなかん / じな / らい / いのに
周囲にはおびただしい数のガレキ。建物の壁や屋根。むき出しになって錆び付いたシンクや、家財道具もある。もう、3年間見続けているが、未だに、風景の一部にはなってくれていない。人口1人の今となっては、これが、もともと人口百万人の街だったなんて信じられない。いつか、これが風景になってくれるのだろうか。遠い、未来、に。
後ろを振り向いた。この場所には、高い建物も、樹木も存在しない。3年前になくなってしまった。街、空間、は、どこまでも遠くまで見渡す事ができる。自分が歩いてきたところに、巻き上げられた青白い燐光の残りが漂い、神秘的な道ができていた。
あ / おい / み / ち
小さく、音を出した。
浮かんだ燐光が落ち着くまでぼんやりと眺めている。と、後方から、白い一筋の光、が、頭上高くを通って、遠くに向かっていった。
「今日は早いんだね」
空を見上げた。高い高い所に、全身を真っ白な光る布に身を包んだ少年が、ぷかぷかとあぐらをかいて浮いている。手には白く光る大きな正方形の紙がある。彼は、それを上空で紙飛行機の形に、丁寧に折って、遠くに向かって投げていた。投げられた飛行機は、一筋の光となって、夜空に長い直線をひき、消える。
「今日は500枚も投げたんだよ」
言いながらも、紙飛行機を作って投げる手は止めない。光の矢は、次々と少年の手から放たれていく。
天使、、、と、彼は言った。最初に出会ったのは3年前。あの日、の夜だった。廃墟と化した街の上空に突然現れて、休む事無く紙飛行機を投げ続けている。
あ / とな / ん / ま / い / やればお / わ / るの / ?
長い沈黙。僕の声は彼の方には届いていない、のだ。僕は彼の声を待たなければ行けない。一方的に。返事(届いていない声に対して「返事」というのもおかしな話だが)を待つ間、僕は、現れては消える光の筋を見たり、足下の砂を蹴り上げて、青い燐光を踊らせたりしていた。
「今日、上司からもっとペース上げろって言われたんだよね。けどさぁ、こっちだって一生懸命やってるわけ。あいつ、事前にどれくらい時間がかかるか、ちゃんと計算できてなかったんだよ。この国でこんなに人が死ぬ事なんてなかったからさ。けど、どの国だって、そういうことはあり得るんだから、ちゃんと想定しとけって話だよね」
また一枚、飛んだ。
一枚一枚の紙飛行機には、それぞれ死者一人一人への祈りが宿っているらしい。妻の紙飛行機は、もう飛んだだろうか。
「僕のノルマはあと806521枚だよ。何年かかることやら……」
ぼ / くがし / ぬ / のとど / っ / ちがさ / きだろ / う
「それにしてもさ、君たちって面白いよね。なんか、死ぬ事を恐れてさ、色々な方法で過剰に自分たちを守って、その結果、こうやってみんな死ぬんだ。爆弾で、青白く光る化学物質をまき散らして。いい迷惑だって、他の動物は言ってるよ。君は何で生きてるの。何で生き残ってるの?」
し / ら / な / い
「まあいいや、その、青白いゴミのせいで、君もいつかは死ぬんだ」
そん / な / ことし / って / るよ / ば / かやろ / う
誰にも届かない音を空間に投げる。沈黙。使う者がいなくなった言語は、意味の伝達という機能を果たさない。この言葉に、もう、意味などない。ただの、音、だ。ただ、自分一人を安心させる、音。だから、自分が心地よいリズムで、声帯を震わせる。まるで、できそこないの、歌のようだ。できそこない。けれど、それでいい。観客はいない。
ぼ / くは / あ / とど / れ / くらいい / きら / れ / るの / か / わか / らないしそ / れを / かんが / えてもい / み / がな / いき / が / す / るから / か / んがえないよ / う / にし / ている
燐光。
僕は、僕の、この音に合わせてダンスを踊った。天使の下。地面を蹴り上げるたびに、地面に着地する度に、地面を踏む度に、よたつく度に、青白い光が巻き上げられて、僕を包む。僕は、踊る。燐光を、散らしながら。誰かに、何か、を、伝えたくて、青白い、化学発光、は、どこにも、届かない。僕は、巻き上げた光に包まれる、何も、見えない。化学発光、は、ただ、大気を通って、肺に、胃に、脳に、入って、蓄積していく、、、。
光の筋が一本。
僕は地面に膝をついた。全力で踊れる時間が、段々短くなってきている。呼吸が苦しい。心地よい風が、身体をゆっくりと冷やしていく。青白い光はゆっくりと地面に降ってきて、ガレキの景色が再び目の前に姿を現す。
地面には、向かい合っている二匹のアリの姿があった。
あいしあ / ってい / るのそ / れ / ともた / たか / っている / の
僕の意味は届かない。
二匹のアリの周囲には、大気中に舞った青白い光がゆっくりと降り注いでいた。
#4「a」
「なんで人間は一人なのにさー、死体は一体って数えるの?」
ただいま、の代わり。塾帰りの僕の第一声は、誰もいない小さなアパートの部屋の白い壁に吸い込まれた。今日も負けた。この白い壁に吸い込まれない言葉など、あるのだろうか。テーブルの上には夕食が一人分、置いてある。中学校の教科書と塾のテキストがたっぷり詰まったバッグを放り投げて、手を洗う。
「なんで人間は一人なのにさー、死体は一体って数えるの?」
母は、「夜の仕事」という種類の仕事をしている。具体的に何をしているのかはよくわからないのだけれど、昔、ネットで検索をしてみたら、なんか、色々な種類の「夜の仕事」があるらしい、と言う事が分かったた。そこまで調べて、もう、これ以上調べたくなくなったからやめた。
a
皿の上には、焼かれた一匹のさんまが丸ごと乗っかっていた。
焼き魚は苦手だ。なんだか、この、目、がどうにも。なんというか、見ているのだ。こっちを。
a
見るなって。
a
だから、さ、そう言う目で、見るなよ。
a
焼かれて白く濁ってしまった目。この目、が、まだ透明だった頃、こいつはどんなに広い世界を見ていただろうか。広い広い海を、自由に泳いで、とっても遠いところまで行ったに違いない。
泳いだ果てが、こんな、小さなアパートなんて、残念だね。
泳いだ果てが、僕の胃の中なんて、残念だね。
僕はそんなに遠くには行けない。まだ中学1年生だし、それに、これからも、きっと、そんなに遠くには行かない。言葉が白い壁に吸い込まれている限りは。
a
きっと、こいつはたくさんの仲間と泳いでいたんだ。すごいスピードで。自分だけ速度を落としたら、仲間とはぐれてしまうから。透き通っていた目、には目まぐるしく変化する海の風景が映っている。
様々な大きさ、形の魚。プランクトン。海藻、、、の、ように、広がった、髪の毛。指の間に海水がすり抜けていくのを感じる。水かきが退化していなかったら泳ぎやすいのに。上を見る、と、海面。太陽が降り注いでいる。
僕は海面に浮き上がり、仰向けになって太陽を眺めた。
a
しばらくして、背中がくすぐられるようにムズムズするのを感じた。
魚達、だ。たくさんの魚達が、背中をつついている。背中を、背中の皮を、肉を、つつく。僕は自分が水死体になっている事に気がついた。こいつらは、僕を食べに来た。
僕はどこまでも遠くに行く。魚達の肉になって。
遠くの大陸。深い海底。鮮やかな珊瑚礁。真っ白な流氷。世界中に分散する。
身体が少しずつ少しずつ小さくなっていくのを感じながら、水死体の僕は太陽に手を伸ばす。
動かないはずの手、は、ゆっくり、ゆっくり、太陽の方へ、のびきって、日光を浴びて、ゆっくり、ゆっくり、おりて、きて、そして、、、焼き魚の背中の肉、を、箸で掴んで、口の中、へ、入れた。
皮が少しこげていて、苦かった。さんまを睨んだ、けれど、皿の上の魚は白濁した目で睨み返してくるばかり。
a
あーあ、塾の宿題やらないと。
さんまをもう一口、咀嚼しながら、鞄の中の英語の問題集を取り出す。
問:日本語訳を参考に、( )内に当てはまる語を答えなさい
部屋の中に一匹の魚がいます。
There is ( a ) fish in the room.
#3 「雨」
ジリリリリリリ
ぼんやりと覚醒した、ワタシ、の、耳に入ったのは、雨の音、だった。
何かをやらなければいけない日は、必ず雨が降る。
憂鬱、だから、布団に潜って、一旦、現実から目を逸らす。一旦。
ワタシ、は、こうやって、なんか、こう、起きて、出掛けなければいけない、のだ、けれど、それは、なんか、何か、昔から、みんなと同じことをする、集団行動、とか、そういうのが、嫌いだった、ことも、あるのかもしれない、なぁ、と、思った、ときに、目覚まし時計がなっていることに気がついた。
ジリリリリリリ
あー、、、
ぼんやりと覚醒した、のではなく、目覚まし時計に、起こされた、のだ、と、いうことに気がついた。このまま布団にいられたら、と、思わない日はない。
、雨の音。
重い身体を起こして、キッチンに行く。
蛇口からは、水滴が垂れていた。昨日、閉め忘れたらしい。
、雨の音。
ワタシ、は、落ちていく水滴、を、数、え、る。
、雨の音。
ひと粒ひと粒落ちていく、水滴、が、シンクに落ちる、音。
、外の雨、の、音、は、いくら開いても永久に開ききることの無いカーテン。
サーっ、と、激しくなってきた。
十粒。蛇口から落ちる水を数える間に、何粒の雨粒が地面に落下する、のだろうか、と、思った。
あまりにも多すぎて、一粒ひと粒の音、では判別出来ない。
ワタシは、一杯水を飲む。血液が巡って、脳、が、動き出す。
着替えて、化粧をして、スタイリングをして、銃を持って、鍵を持って家を出る。
今日は、首都の殲滅作戦だ。何人の、友達が死ぬのだろうか、と、思う。
行ってきまーす。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
無数の雨粒が地面に叩きつけられている中、ワタシは、外に出る。
蛇口からは、一粒、一粒、水滴、が、落下、していた。
蛇口を締めに帰るためにも、ワタシ、は、死んではいけない。
、